心は自分の意思で整えられるのか、試してみた

Photography by Luc Viatour

人には、心と呼ばれる無形の領域があります。心という呼び名は人それぞれで、思考や魂と呼ぶかもしれません。
それは人のどこにあるかはわかりません。脳髄かもしれませんし、心臓かもしれません。もしかすると、肉体は端末に過ぎず、本体はクラウドの向こう側にあるのかもしれません。
それでも人は常に思考し続けます。
意識的、無意識を問わず思考を続けています。

心はときに感情に左右されやすく、酷く矮小な考えに意識を合わせてしまうことがあります。自暴自棄になったり、何もかも手につかなくなったり、冷静ではいられなくなるのです。

果たして、そのような不安心な状態から、自分の意思で恬然とした状態に戻すことができるか、というのが今日のお話です。


ある会社員の日記より


n月x日。

注意力散漫になってきた。

なってきた、というより最近自覚した。

ある日、まったく集中できないでいる自分に気がついた。ひとつのことに5分と集中できずに別の資料に取り掛かってしまう。酷いときには書き始めの資料が五つも六つもPCのデスクトップに表示されていた。結局、適当に帳尻を合わせてそれぞれの資料を作っているので、資料の出来はすこぶる悪い。最初にイメージしたものから途轍もなくかけ離れているだろう。しかし、資料が出来上がる頃にはその前のイメージなど忘れてしまっている。それでも資料に身振り手振りで注釈を加えて、どうにかやり過ごしていた。

ということを突然自覚したのである。

仕事で悩みもストレスを抱えたことなどないと自負していたが、長いこと社会に出ていれば、知らず知らずのうちにいろいろと溜まるようである。それとも常態化し過ぎて、ギリギリまでサボるという脳の特性に素直に従ったためか、注意力散漫になった原因は分からない。もしかすると最初から注意力散漫で、自己の正当化による欺瞞を脳が受け入れているのかもしれない。

何にしてもこのままでは具合が悪い。気づいてしまったからには手を打とうと思う。


※この作品はフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません


日記を書いた会社員は、既に心と体のバランスを崩しており、このままでは負の感情を抑えられなくなってしまうことでしょう。その前に気づけたのはきっと、不幸中の幸いでした。


没入
没頭
集中


意識をある特定の思考に集中するには、常に穏やかな気持ちでいることが重要です。
心を整えるうえで大切なのは、心と体の調和です。そして外の世界、社会といいましょうか、それとの調和です。外の世界と折り合いをつけるのではなく、調和を図るのです。
宗教じみて聞こえるかもしれませんが、宗教の本質は「自分の心を見つめること、世界(註)と調和を図ること」ですから、心について話をしてゆくと大体どこかの宗教書に書いてあるような説法に辿り着きます。
註 : この「世界」とは森羅万象を表す語として使用しています。英語ではUniverseに相当します。Worldではありません

心を穏やかにするために、よく分からない壺や水晶玉を買ったり、どこかのの団体に加入してお布施を納めたりする必要はまったくありません。
藁にもすがる勢いで他人に頼っても、何も改善することはないのです。
それに、心を整える行為は「自分との対話」ですから、他人の横やりでどうこうできるものではありませんし、思いたったら体ひとつで実行できるのです。

というわけで、心を整えるのに効果のありそうなことを幾つか試してみました。


1.ノイズ情報を遮断してみた


とかく世界は情報で溢れています。情報を選り分ける力がないと、奔流に飲み込まれ流されるだけです。気がつくと携帯電話を弄っていたり、調べ物が単なるネットサーフィンに変わっていたり、つけっ放しのテレビやラジオから聞こえてくる内容に気を取られてしまったりと、「気を削がれる」のに事欠きません。

週に一日、一切の情報を遮断する日を決めて、テレビ、ラジオ、インターネット、携帯電話、借りてきたBDやDVD、PC、ゲーム機器、そして時計といったこれらすべてを「ノイズ」と仮定して一切を遮断してみました。
一日くらい情報を入力しなくても、世界から置いてけぼりにされることなどありません。関連記事(WIRED.jpにジャンプします)

週に一日くらいは、一切の情報を遮断してみるのもいいものです。体感的な一日の時間の長さが普段の日常とは変わり、一日が長く感じられます。さらに普段の行動から離れて、滅多に行かないような場所に出かけてみるのがいいでしょう。外で陽の光を浴びながら散策に出たり、疎遠になっている友人を尋ねてみるのもいいかもしれません。何となく忘れていた、いろいろな気持ちが蘇ります。


2.瞑想を2カ月続けてみた


2カ月の間、毎日就寝の1時間前に30分間の瞑想に挑戦してみました。

瞑想は、自分の内面を観察するのに良いメソッドです。

静かで快適な場所で座ります。椅子に腰掛けても、胡座をかいても、坐禅でも構いません。座っているときは肩の力を抜いて、背筋が伸びているのを意識します。もっとリラックスしたいなら、床に仰向けで寝転がっても良いでしょう。
呼吸はゆっくりです。ゆっくりと鼻で空気を吸って腹に溜め、腹に溜まった感覚を感じながら、またゆっくりと鼻から空気を淀みなく吐き出します。
瞑想する姿勢ができたら、静かに目を閉じましょう。
瞑想を毎日おこなうと、次第に次のように状態が変わってゆきます。

  1. ひたすら考えるままにアレコレと思考を彷徨わせる
    最初のうちはアレコレと考えてしまい、集中できないかもしれませんが、三日もすると落ちついてきます
  2. 自分が瞑想している状態を認識して、瞑想している自分を観察する
    瞑想している自分をメタな視点で捉え、瞑想に没頭します
  3. ただ一つのことだけに思考を集中してイメージを広げる
    思考を鋭く一点に集中し、完成したモノを具体的に想像し、そこから徐々に分解してもとの材料まで復元してみたり、プロジェクトが成功した状態から遡って、どのような時点にどのようなタスクをどう対応したかを紐解いてみたりして、朧げなイメージを現実と違わないくらいにまで精緻化します

二カ月を経過した時点で、3番目の入り口、簡単な思考の組み立てと分解、遡及ができるようになってきた気がします。
さらに、あくまで個人の感想ですが、寝起きもすっきりして仕事に対しても思考が明瞭で考えがまとまり易くなったように思います。

世界の賢人と呼ばれる人たちが、定期的にパワースポットで朝日を浴びながら瞑想するのを習慣にしているというのも一理あるのかもしれません。

認知療法に瞑想を取り入れる動きもあります。
マインドフルネス認知療法では、仏教のサティの考え方を取り入れています。

ところで、瞑想時の脳波の状態を聴覚刺激によって作り出すことができたら、それを聴くだけでいつでもお手軽に瞑想状態になれるとしたら信じますか?

バイノーラル・ビートという音を聞くだけで、瞑想状態や集中状態などの目的に合った脳波に切り替えられるらしいです。

バイノーラル・ビートとは、左右の耳に異なる周波数の音を聞かせて、脳内で共振音を発生させるというものらしいです。周波数の差異によって生み出されたうねり音に、脳波が合わせてしまうという特性を利用するのだそうです。

まるでわかりません。
半信半疑です。

バイノーラル・ビートで検索すると、ネットワークにあるMP3音源やスマートフォンのアプリケーションが出てきます。
ひとつスマートフォンのアプリケーションで試してみることにしました。
アプリケーションには、効率向上、発想力向上、集中力向上、リラックス、睡眠誘導といった目的別の音源が入っていました。

この類のアプリケーションで音を聞くときは、ヘッドホン推奨とのことです。スピーカーの場合、左右の音の差異が非常に小さいので効果が期待できないようです。どうしてもスピーカーで聞きたければ、左右のバランスが完璧に調整された音響テストルームで聞くことをお勧めします。

集中力向上を選んで、ヘッドホンでバイノーラル・ビートだと言われている音を聞くと、ヴヴヴヴヴヴヴ… と聞こえてきます。
果たして効くのか、効いているのか…
効いているような気もしますし、そうでない気もします。
やはりよくわかりません。
引き続き使ってみることにします。


3.アファーメーションを取り入れた


アファーメーションとは自己暗示です。目的を達成したり、なりたい自分になるための心のエクササイズです。
元気になる自分だけの「魔法の呪文」を創り出して唱えます。
唱えるお題目は、安寧、健康、愛、調和や手に入れたいモノやなりたい自分といった希望が「実現している」状態を肯定するものであれば、何でも構いません。
たとえば、仕事の成功を求めるなら「私は仕事(あるいはタスク)を成功させて、顧客の信頼を勝ち取った」となります。
健康を求めるなら「私は十分に健康だ」となります。一切の否定を切り離します。実現したイメージを持てることが重要なのです。
「魔法の呪文」は、朝起きたら最初に唱えます。凹みそうになったら唱えます。寝る前にも唱えます。
お経を唱える感覚に近いでしょう。

アファーメーションは、信じて実践してみることが本質です。その通りになると信じることがとても大切です。
信じて暗示を受け入れると、無意識の領域に浸透してゆきます。そして意識的、無意識を問わずに暗示を実現しようと働き始めるのです。無意識の領域が受け入れたら、良い暗示も悪い暗示もすべて平等に実現しようとする力が働き始めます。

「魔法の呪文」を唱えるとき、すべての食材に感謝する気持ちも表明します。声に出して「ありがとう」を繰り返し表明してみましょう。ちなみに「ありがとう」の対象には、自分自身も含まれます。自分自身も「すべて」の一部なのです。
信じて願うことで自分の行動に変化が顕れます。

思考する力には、想像した事柄を実現するための「イメージする力」という強力なツールが含まれています。そしてそのツールを使うためには集中力が不可欠ですが、集中力は抑圧されていると十分に発揮できません。ですから心を整えて、常に穏やかでいる必要があるのです。

論理的であれば、感情をコントロールできると考えている人もいますが、論路的な思考で感情を押さえ続けていると、いつか綻びが生まれます。とりとめのない思考は、どんなに論理的であっても止めるのは容易ではありません。
もし、とりとめのない思考に翻弄されていると感じたなら、心を整えてみてはいかがでしょうか。
体のメンテナンスだけでなく、心もメンテナンスする習慣が必要ですね。

Written by Interlude.

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