失った時間は戻りません。ですから悔いのない選択を行う知恵が必要です。



「今こんな目に遭っているのはどうしてだろう…」
「あの時どうしてこっちを選んでしまったんだろう…」
「あの時こうしていれば、きっとこうはならなかったのに…」

仕事でも私生活でも、一度くらいは思ったことがあるでしょう。私はあります。お昼ご飯のとき、どうしてB定食にしなかったんだろう、といった些細なことでも後悔することが多々あります。そんなときは、A定食もB定食も両方頼むことにしています。C定食もあるときは、さすがに全部頼むと午後の業務中に眠たくなってしまうので、二つで我慢しています。

時間の流れは無常です。
一方通行で、過去へ遡ることはできません。これは誰にも平等な事実です。

人生には選択がつきものです。選択しかない、といっても過言ではないでしょう。そして現在のあなたとして今ここにいるのは、あなた自身が選択を繰り返してきた結果の集大成なのです。

人生は選択の繰り返しです。たとえば、自分が今務めている会社に入社しようと決めたのも、あなた自身の選択の結果です。選択の結果がたとえどのような結果になるとしても、それは自らが選択した結果に他ならないのです。
選択の責任はいつでも自分にあります。ゆめゆめそれを忘れてはならなりません。他人に相談して決めたとしても、最終的に決断を下したのは「あなた自身」です。他人の言うことに乗ってみたり、納期ギリギリにも拘らずお客の依頼を受けてしまったりするのもそうです。
その結果があなたにとって最良の選択にならなかったのだとすれば、残念ながら知識と知恵が足りず、その時点で他の選択肢が見つからなかったことを意味します。より良い選択をする、ということはより多くの知識を蓄え、それをもとに知恵を絞り出す機会を増やすことで、より多くの選択肢が得られるということなのです。ひとつでも多い選択肢があるということは、あなたが人生をより楽しく謳歌できる(かもしれない)機会が一つ余分に得られるのです。(ちなみに、「より多くの選択肢を得る」とサラリと書いていますが、これは日々の観察と修錬の賜物です。一朝一夕で積み上がるものではありません)

「選択する」という行為には、タイミングがあり旬があります。これがいわゆる「好機」です。この好機に気づいて掴むためには、「知恵」と「行動力」が不可欠です。どちらの要素が欠けても、片手落ちとなります。知恵があって好機に気づいたとしても、行動が伴わなければ掴むことはできません。行動できたとしても、知恵がなければ好機が到来したことを気づけません。
ですから知識を蓄え、行動によって経験を積み重ね、知恵を磨くという研鑽が必要なのです。これを実践する唯一の原理は「自らの意思で考え行動する」ことです。このことを疎かにしなければ、誰のもとにも好機は必ずやって来ます。やって来る、というより好機を好機として認識できるようになり、より多くの機会を好機として捉えることができるようになるのです。自らの意思で考え行動できる人にとっての選択とは、目的を達成するための過程に過ぎません。どのような選択をしても、すべてが最良の結果になることでしょう。

仕事においても「やらされている」と思っているうちは、好機は到来しません。また、あれこれ無用の考えを廻らせるより、「大丈夫だ、問題ない」と直感したタイミングで行動すれば好機を逃すことはまずありません。やらずに後悔するよりも、やってから後悔すればよいのです。やり切った後には、きっと後悔などありません。

最後に、あらゆる選択の責任は、いつでもすべて自分にあることを忘れてはいけません。

Written by Interlude.

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