食欲の秋が到来しましたが、しっかりと昼食を摂っていますか?



旨い食いものと居心地の良さを、五感をフル活用して楽しむのが昼食の醍醐味です。腹一杯にするだけでは、機械に燃料注入するのと変わりません


空腹を満たすことだけが「食事を摂る」ということではありません。空腹を満たすだけなら、食べないほうがより生産的になれることもあります。
昼食を摂るとき、単に空腹を満たすだけの「作業」にしてしまった人たちがいますが、これはよくありません。
自身の人生を豊かにする機会を逃しているかもしれないのですから。

また自らのポリシーを貫いて、毎日同じメニューを食べ続ける人もいますが、目的もないのにそういった人の真似をする必要もありません。

人生には、いつもささやかな変化が必要です。

その変化を昼食のときに感じてみようというわけです。
目で季節の旬のものの彩りを楽しみ、鼻をくすぐる香りを楽しみ、口で甘み、塩味、苦味、辛味、酸味などの深い味わいを楽しみ、耳で店主のヴィヴィッド(笑)な会話を楽しみ、仕事道具でないものに触れてみましょう。

感覚を揺り起こして、五感を覚醒させるのも昼食の目的であり愉しみです。
残りの就業時間を「乗り切る」のではなく「より創造的に過ごす」ためにも、凝り固まった感覚をほぐすのがよいのです。

たとえ短い時間であっても、楽しむことを忘れてはいけません。

食べるという行為は、人間に与えられた快楽でもあります。ならば楽しまない手はないというワケです。


楽しむという感覚


旨い食事を五感で愉しむことは、「最高にハイッ!」になれる、そんな感覚をもたらします。

「食い物ごときでそんな幸せな気持ちになれるか」などと思うのは、さもしい考えです。

なれるのです。

大体、旨い食べ物を旨いと感じられない輩に仕事の感性を語る資格はないのです。

単調な毎日を過ごしていては、感性も磨かれません。本や仕事を通じて得られるものだけが頭と心の栄養ではないということです。


楽しむという意思


旨い食べ物を食べたいと思うのも、店のオヤジと会話するのも、自分の意思で自発的に行う行為です。

気持ちが沈んでいるときだからこそ、自分の意思で楽しむという選択をするのが良いのです。
沈んだ気持ちを転回しようとするのも自分の意思なのですから。

気持ちが沈んでいるときこそ誰かと話してみるべきで、誰かと話したときの何気ない一言で救われたり、悩みから解放されたりすることもあるのです。


楽しむという余裕


昼食を楽しめる店を探すのは余裕がなければできないことです。

楽しむ余裕がなければ仕事の質は下がります。アイデアなど湧いてくるわけがありません。

しかし、どんなに追い詰められていても、余裕を持っていれば起死回生の打開策などいくらでも捻り出せるのです。

内に篭っているより、外に出たほうがいいでしょう。
アイデアの大半は机を離れたときに閃くものです。
机に囓りついていたって仕方がありません。
キリをつけて机を離れ、一瞬だけ仕事を頭から追いやってメリハリをつける、そんな習慣を身に付けられたら、もっと創造的で生産的な仕事のやり方に近づいているといえるでしょう。
アイデアは思考を切り替えたとき、それまで絡まっていた知識から突如として閃くのです。
もし、「気になってメシが喉を通らない」としたら、そんなときこそ意識して余裕を持つべきです。


すべてつながっている


自分の普段の生活も仕事も、すべて自分の人生の一部です。
そこに潤いも変化もなければ、機械的に単調な毎日を過ごしながらため息をつくだけです。

すべてはつながっています。

仕事でイノベイションと宣う割には、自分の生活に変化を取り入れられないのでは、ちぐはぐもいいところで「何をか謂わんや」です。

気分転換に外に出て、旨い飯屋を探す、「旨い = 高い」という定理に倣うのはつまらないから、安くて旨いものを探してもいいでしょう。(たまに奮発して高いものを食べればいいのです)
食事は生命維持活動に必要な行為ですが、それだけではありません。

千円をつもり貯金して貯めるより、外に出て旨いものを食べたほうがよいでしょう。
つもり貯金をするなら、先に他の支出を見直すべきです。
おかしな出費がきっとあります。

毎日でなくともよいのです。
毎日お弁当を持参していても、週に一日だけ外に出て食事をする機会を作ればよいでしょう。
お弁当持参の先輩社員をよく観察してみてください。
彼らは住宅ローンや子どもの教育費と付き合いながら、週に一度の外での昼食を楽しんでいることでしょう。

深い味わいは、冷凍ものを扱う回転寿司ではまずありつけません。
たとえば、「くつろげる場所で、とても旨いマグロを食べた」という実体験は、楽しむことを通じてささやかな変化をもたらします。
このささやかな変化の積み重ねは、あなたが機械ではないことを認識させるチカラとなるのです。

それに、せっかくの旬のものを食べるのに、チェーン店で済ますのは味気ないというものです。

昼食代を浮かすことより、自分の心と体をケアするほうが大切です。
浮かせたお金で一山当てても、その頃に心と体がガタガタだったら何の意味もないですから。

Written by Interlude.

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