暗黙のうちに形成される「馴れ合い」に流されてはいけません



仲良し組にできることなどないのです。馴れ合いよりも刺激が大切です


もしかして、職場で馴れ合っていませんか?

互いに遠慮して、言いたいことも言えない関係になっていませんか?

馴れ合うこととは、お互いに節度や限度を超えて許し合うことです。
このような態度は、絶対に守るべきはずの納期や品質についても許し合ってしまいます。いわゆる、「仕方ない」という感情です。(一体何が仕方ないのか、まったくわかりません)
干渉し合わなかったり、お互いに触れられたくないところは目を瞑ったりという行いは、当事者たちには心地良いかもしれませんが、お客や上司から見たら堪ったものではありません。
問題が起きたら、第一報をくれるのがお客だったり、進捗を確認しても「がんばります」としか言わなかったり、遅れているタスクに対してまるで他人事だったりと、百害あって一利なしです。

その根本は参画した人たちが、その仕事の目的が理解できていないのと合わせて、自分自身に対する“適切な動機付け”ができていないことにあります。
まるで、自分が「なにを」、「いつまでに」、「どのように」、「どうするのか」、そしてそのような行為が「他へどのような影響を与えるのか」ということを踏まえて現場の実務を遂行するという、仕事の大原則とも言える感性が欠落しているようです。
そこに「過剰な許し」が加わってしまうと、「仲良し組」が出来上がります。(彼らや彼女たちは、職場で同僚とよく話します。仕事の話題を除いて…)
馴れ合い=無関心、あるいはコミュニティ仲良し組の輪から外れたくない、和を乱したくないという表れなのでしょうか。

職場では、こうした「仲良し組」状態に陥ってしまうことは少なくありません。
彼らはいつどこでも、達観した風で最初から諦めたような態度を気取って、一体何が楽しいのか理解に苦しみます。

馴れ合うことは、相手を尊重することではありません。


会社に何しに来てる?


会社員であれば、期日までに期待水準に達する(または上回る)成果を出す責務を負っています。
会社と社員は、「契約と債務」の関係にあります。会社の期待値に応えて業績に貢献するから、対価である「給与」が貰えるのです。

仕事を始めるに当たって、参画する目的と役割を正しく理解して、登用された意味をよく考えることが大切です。
「やれって言われたからやります、でも選任したのはアンタでしょ」という一人称視点の価値観は通用しません。

さらに組織やチームを組成する目的は、本来「補い合う」のではなく「何倍にも高め合う」ことです。「没個性」ではなく「自分の個性」を最大限に発揮することで貢献するのです。


仲良し組を叩き潰せ


組織やチームで仲良し組を自然発生させないためには、全員参加の取り組みが必要です。

まず、「俺はこんなに良く頑張ってる」という一人称視点をやめる(やめさせる)ことです。

次に「何で俺だけが」という被害者意識を捨てる(捨てさせる)ことです。

仲良し組は「被害者面した加害者」の集まりです。「被害者? 何で? 何もしてないのに?」と思ったら大間違いです。
成果を期待されて招聘されているのに「何もしない」などあり得ないのです。

それから「がんばります」と言わない(言わせない)でください。

日本語は時にとても曖昧です。「がんばります」は、具体的かつ定量的なものの対極にあります。報告で使うには、これほど不適切な語はありません。


隣の垣根を取り払え


全員で仕事の全体像を把握しましょう。
経験値など関係ありません。その仕事全体は、何を、何時までに、誰が、どのように、どうするのか、を知るだけです。与えられた範囲だけに注力するのではなく、仕事の全体が何なのかを知るのです。
そしてお互いが何を今しているのか、次に何をするのかに関心を持つのです。どう影響を与え合うのか、もし遅れたらどんなに迷惑を被ったり与えたりするのか、知る義務があるのです。

自分の仕事なのに、余りにも無関心過ぎるのではありませんか。
仕事で無知・無関心は罪です。

「聞いてませんでした」というなら、今から聞きましょう。
「知りませんでした」というなら、今から知りましょう。
気づいた今からでも遅くありません。

仕事は遊びではありません。
職場は、気の合う仲間を作る場所ではありません。
親しき仲にも礼儀あり、朱に交わらない、長いものに巻かれないという毅然とした態度を身に付けましょう。

適度な緊張感に身を置いてこそ、自身の成長があるのです。

Written by Interlude.

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