吊り広告改め“釣り”広告


広告の大半は釣りです。よく見れば大きな釣り針が見えているのに、否、釣り針が大きいからこそ問い合わせが殺到するわけで、そうして広告の目的は達成されるのです


生きれていると、何かしらの問題を抱えます。あるいは問題を抱えなくとも、もっと良くなりたいという欲求に突き動かされて、常に何らかの行動を起こします。
そのような場合、行動の質〜たとえば不遇な境遇を社会の所為にしたり、他人の所為にしたりする〜によっては外部の影響を直に受けて、振り回され続けることになります。原因の因果関係を現実世界にばかり求めた因果応報というわけです。

そうした類の人たちを取り込むための外部装置として、広告というのは実に良くできたシステムです。

あなたが普段何気なく目にしている、通勤電車の吊り広告、新聞広告や落ち込みチラシ、テレビCM、インターネットに氾濫するバナー広告、それらは、いつの間にかあなたの潜在意識に浸透してゆき、知らないうちにあなたの行動に少なからず影響を与えてゆきます。

良くできた広告というのは、見る人の射倖心を煽ります。心の隙をつくことができるからこそ、優れた広告であるとも言えます。広告としての機能を最大限に発揮しているわけです。

心の隙をつく広告は、「知りたい」、「手に入れたい」、「そうすれば今よりもっと良くなるかもしれない」という感情を刺激します。
そして「他人よりもいち早く手にしたい」という欲望を喚起します。
さらに、“あなただけに”、“期間限定! 今だけ半額”、“早い者勝ち先着○名”といった心理を擽る言葉によって「誰よりも先に手に入れないと“秘儀”は他人のものになってしまう」という強迫観念を植えつけて、「一刻も早く“問題”から開放されたい」という衝動を後押しします。
そうした衝動と、潜在意識に知らずのうちに刷り込まれた広告の内容が化学反応を起こして、恐怖感を購買意欲にすり替えられてしまうのです。

このように、広告の内容と強く合致する“困りごと”を抱えている人が、切羽詰まった状態で“たまたま”問題を解決できる“かもしれない”広告を見てしまうと、釣られる確率が格段に高まります。
広告の内容につい釣られて、架けてしまった問い合わせの電話は、すぐに答えを返してはくれません。「調べて折り返します」と電話を切られたきり、しばらく応答はありません。
焦らされやきもきしながら待たされて、冷静な判断ができなくなった頃に、やっと連絡が入ります。
しかし広告主が持っている答えは、問題を解決するものではありません。
たとえば不動産の物件であれ、あるいは金融商品であれ、既に成約済みであったり過去の実績であったりと、その広告に記載されている一番目の“理想的解決策”は「もう存在しない」ものです。
ただそれだけで終わるはずもなく、最大限に高められた衝動は、「せっかくなので他の物件を見てみましょう」とか、「他の金融商品の説明を聞きましょう」といったまったく別の、問題をを理想的な形で解決できない二番手三番手の提案にまんまと乗ってしまうのです。

インターネットが一般に浸透して、より簡単に射倖心を煽ることができるようになりました。
深夜のテレビショッピングを偶然見て、たまたま抱えている問題の解決策となる商品が紹介されていても購入しなかった人でさえ、Webの検索結果に表示できさえすれば毎回毎回射倖心を煽るだけですから、誘導するのは簡単です。なぜなら、問題の解決策を探す人は、自身が気づかないうちに何度も同じ検索ワードで検索しているからで、それによって自分で自己暗示にかかってしまうのです。
こうして問題の解決策を外に求めると、さらなる厄介ごとを呼び込んでしまうことになるでしょう。

今しかできない、というのはウソ。
何度でも機会は訪れます。

騙すのが悪い、騙されるのが悪い、どちらも不毛な水掛論です。
心理を探求する姿勢を貫き通しましょう。

あわてない、あわてない、一休み、一休み。
どんな時でも、どっしりと構えましょう。

本当の答えは、あなたが既に持っています。
自分自身と対話する時間を持って、思考を整理しましょう。そして情報を読み取って、本質を理解する術を身につけて、情報から知識を取り出し、知識を知恵に変える手段を作り上げてゆきましょう。

あなたにとっての、価値あるものを見つけ出すために、誰が何と言おうと自分のことは自分で決めるのです。

Written by Interlude.

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