休めるときは、必ず休んだ方が良いでしょう。休めないときでも、休みを創り出すのが良いでしょう。発想は充分な休息から産まれます
無理をしていませんか?
その仕事は自分にしかできないと思って、休日も返上して出勤していませんか?
ところで、二日以上の連休を取ったのは、いつだったか憶えていますか?
責任感を持って仕事に臨むのは、組織にとっても、あなたにとっても、ゴールに向かって成果を叩き出すうえで、とても意義のある選択ですが、その責任感に苛まれるあまり、すべてを自分で背負い込んでいませんか?
否、背負い込んだ気になってはいませんか?
もしあなたが、組織で、そしてチームで仕事をしているなら、すべてを背負い込むことなど不可能です。
職務を遂行できる、という自負を持つのは良いことですが、なんでも一人でできると思ったら大間違いです。
たとえば、個人プレイになりがちな営業職であっても、事業部門の業績予算を達成するには、事業部門の仲間たちと助け合わなければ達成しようもありません。
仕事の内容に当初の計画とズレが生じて、業績予算や仕事の目標達成に影を落とすのはよくあることです。
未来は不確実で、(勝手に夢想した理想の)可能性に対して予定を組んでいるわけですから、当然乖離が生じます。
にもかかわらず、当初の予定を何が何でも変えないという頑な姿勢は、現場を疲弊させてゆき、さらに悪い方向へ舵を取ったことに他なりません。このように当初の計画を補正せず、それこそ無計画に突っ走ってしまうと、適切な権限委譲と役割分担とタスクの割当てをしていたであろう「原初の計画」は、陳腐化した状態で現場の「バイブル」となってしまい、とんでもない足枷になってしまうのです。
その結果、当初の目標を達成できず、さらに後付けでこのように言われてしまいます。
- タスクの洗い出しが不十分
- リスク管理できていない
- 適切な職能を持った人材が足りない
- マネジメントできていない
(※ちなみにシステム建設プロジェクトに限っては、「マネジメントできていない」という評価については概ね正しいと思います。)
得手不得手もあります。
調整事の苦手な人に対顧調整のタスクを任せても、余計に人手を取られて周りが不幸になるだけです。
「自分がやらねば」という、ある種の強迫観念のようなものに取り憑かれて、盲目的に突進したり抱え込んで身動きが取れなくなったりするのは賢いやり方ではありません。
昔々の「キャシャーンがやらねば誰がやる」という、「孤高のヒーロー」を地で行ったところで誰も気にかけてはくれません。それどころか、「じゃあ後はよろしく」と、都合良く使われてしまうのがオチです。
それに打開策や回避策は、充分な休息をとっていなければ、閃くことはあり得ません。
何かに追い立てられいる時に閃く発想は、ろくでもない駄策でありその場凌ぎでしかないのです。
充分に検証されていない発想は、後々何がしかの新たな問題を呼び込みます。
その問題に対する解決方法が、これまたその場凌ぎだとしたら、未来永劫、その場凌ぎを繰り返すことになるでしょう。
こうした負の連鎖を断ち切るためにも、腰を据えて思考を整理して洗練し、本質に至る必要があります。この本質に至る道は、生半可な発想で見つけることはできません。ですから、ただひたすらに考えるためのまとまった時間と、一切何もしない(何かに追い立てられない)時間が必要です。
休暇や休息とは、単にリフレッシュのためだけに取るものではないのです。
というわけで、どんなに忙しくても協業しているお客や仲間たちと助け合って、休暇の予定を共有することが大切です。休暇予定を共有するということは、仕事のスケジュールも共有するというところにつながってゆきます。
そして、お互いが休むためにお互いを気にかけ合うようになってゆきます。
そうして活性化された職場では、誰かが言うことなしに、互いのスケジュールを気にかけながら、仕事を取り回すようになります。
それはたとえば、このような具合にです。
「あいつが来週休むとなると、明日までにこっちのタスクをやっつけて…」
「ごめんなさい、再来週の月曜日どうしても休みたいから、こっちのタスクを替わってくれない?」
「あれ、彼はこの週に休みたいって言っていたな。それじゃシフト組み直さなきゃ」
これは、現場に自発的に芽生えた調整力です。
一人で何もかも背負い込んだ気になってしまったら、創造的な活動などできませんし、周囲を気遣うこともできません。
自分自身が休みを取ることも、周囲に休みを取らせることも計画のうちです。
休む勇気、必要ですね。
Written by Interlude.