自席では饒舌なのに、どうして会議では寡黙なのですか?



会話の質とは『どれだけ話したか』ではなく『互いにどれだけ理解したか』で測ります。また沈黙して時が過ぎるのを待つのは得策ではありません



定時間内に、自席で他愛のない会話にうつつを抜かした挙句、定時後遅くまで残っている人たちがいます。その日仕上げなければならない仕事そっちのけで仕事と関係のない話はできるのに、仕事の話となるとからっきし身が入りません。

そんな彼らの口癖は『忙しい』です。

職場で仕事の話をするほど、“暇じゃない”ということでしょうか。

それで日常業務が旨く回るなら、それに越したことはありません。何の問題も起きないのは、とても幸せなことです。

しかしながら、そうは問屋が卸さない場合もあります。

仕事には『会議』という、状況を公開する場があります。
組織に所属して仕事に就く人なら、少なくとも一度は会議体に参加するでしょう。
会議と名が付かなくても、自分以外の人たちと仕事の話をして、現状確認や次にすべきことを議論するのも会議の一種です。ミーティングやレビュー、行きずりの立ち話がこれにあたります。

このように、仕事では常に意思の疎通が求められています。
仕事を頼んだり頼まれたり、情報を伝えたり伝えられたりと、仕事は実に様々な人のつながりによって成り立っています。何もかも一人で職務を全うできるわけではないのです。

こうした職場での意思疎通は、本当に難しいと思います。

こちらの想いを伝えたつもりが、実はまったく意図が伝わっておらず、それどころか真逆に解釈されていたり、後々言った言わないの水掛け論に発展したりすることもあります。
その逆も同じで、相手の意図が分からないまま会話を終わりにしてしまい、後から何か依頼されていたことに気づくこともあります。

こうしたほんの少しの行き違いで、誤った結論や結果に至り、現状回復に時間を要します。

もっと酷い場合には、中身のない感情論に職場が蝕まれてゆき、無為無策のまま無駄な時間が過ぎてゆきます。何も産まないどころか、遺恨を残して最後まで尾を引きます。

会議でも似たような光景が見られます。
会議で黙って終始穏やかな表情で座っているのは美徳ではありません。
何も産み出さないなら、その時間は大いなる無駄です。
ならば話し続けるのが良いかというと、それもとっ散らかって実りある会話にはなりません。

前向きかつ生産的な活動には膨大な集中力が必要で、簡潔で明瞭な情報を発信して、解釈を誤る確率を下げる努力が必要です。

会話中の何気ない仕草も、相手の心象に刻み込まれ、場合によっては誤った理解を助長することがあります。
相手の先入観(偏見とも)によって、都合良く解釈されてしまうこともあります。
ですから、情報を送り出す側も受け取る側も、できる限り先入観や主観を排して理性的になるのが良いでしょう。

さて、ここで質問です。

あなたは、情報を受け取るだけの存在ではないですか?

あなたは、情報をばら撒くだけの存在ではないですか?

あなたは、受け取った情報に新たな情報を加えて発信していますか?

もしあなたが、職場で『自分しか知らない情報』を持っているとしたら、そしてあなたが研究開発や経営企画といった社内秘を扱う部門の所属でないとしたら、今すぐその情報を周囲と共有すべきです。

起業家は新しいモノやサービスの形がある程度出来上がるまで情報を秘匿することがありますが、職場において仕事に関係のある情報をいつまでも自分だけが持っているとロクなことになりません。
たとえば、お客とあなたしか知らない情報を職場のメンバーに周知しないと、あなたはずっとお客からの問い合わせに答え続けなければならないのです。
さらにお客は24時間365日の営業体制を敷いているとしたら、あなたはきっと帰ることもままならならないでしょう。
それを『忙しい』と勘違いするのは如何なものでしょうか。
そんな莫迦な話があるものかと思われるかもしれませんが、以外と多くの人が自爆トラップにはまり込んでいます。
また、人は『自分しか知らない情報を持っている』という状況を周囲と異なる特別な待遇であると、大きな勘違いをする傾向にあるので、一度自爆トラップにはまってしまうと中々脱け出すことはできません。

ですから、仕事にまつわる情報を交換するために周囲と会話することが大切なのです。

仕事で会話をしないのは、意思疎通を拒否しているのと同じです。
誰に何を言っても無駄ななので『もういいや』と諦観してしまっているのか、それとも誰かに義理立てしているから何も言えないのでしょうか。
『何で俺が…』と被害者意識全開で聞く耳持たず、という意識で仕事に臨んでいるとしたら、それこそ大問題です。
仕事に関わる全員で納得できるまで話し合えるのが理想型ですが、中々そうはうまく行かないのが現実です。
先入観で本能的に『合わない』という感情が働くと、顔を見るのも嫌になってしまいます。それでも毎日同じ職場で、嫌でも顔を合わせなければなりませんから、ストレスが溜まります。話しかけてみて、“ちっぽけなわだかまり”を払拭できれば良いのですが、直観に逆らって先入観を振り払うのは難しいものです。仕事だからと割り切って行動できるになりたいものです。

また最近は、eメールという便利なツールがあるので、直接会話しなくても“正しく伝わらない”情報伝達の頻度が上がりました。席が隣同士でもeメールで連携事項を送信して、要件を伝えた気になっている人たちが沢山居ます。

あまりに饒舌過ぎて周囲の反発を喰らってしまう場合、ときに沈黙は必要でしょうか。時と場所を弁える分別も必要ですが、そのような姿勢ではいつまで経っても業務を終えて帰宅することはできません。
カーライルの言葉に「雄弁は銀、沈黙は金」というものがあるそうですが、終始黙っているのは金ではありません。
もし、話すのも嫌だという離婚調停中の夫婦のような関係になっても、職場では間に弁護士を介することなどできません。そうでなくとも、沈黙は互いにプレッシャーとなり、建設的な会話に繋がることはまずないでしょう。もし、相手を威圧する目的で効果的に使っているとしても、あまり良い方法とは言えません。

いずれにせよ、仕事において会議体のような情報交換の場で終始沈黙するのはは罪です。たとえ会話が繋がらなくても、自分のターンで会話が止まってしまうことは避けたいものです。
せめて“はい”か“いいえ”くらいは応えて、意思表示はするべきです。

覆水盆に帰らずの例えもあります。
後への備えとして、日々の会話の内容についてもう少し気を配った方が良いと思います。

Written by Interlude.

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